1968年 光陽無線工業有限会社 法人設立(福岡市南区)

売上高も順調に伸び、人手が足りなくなったため会社を設立し社員の採用を始める。その時に最初に考えたことは、今まで自分が働いてきた会社とは違い、社員が安心して生活できる会社にする。お客様に信頼される会社にする。そのためには、誰にも負けない技術力を持つこと。規模を追わず小さくても強い会社になる。この4つを心に誓った。理想の高い技術屋の若松孝往は全てを完璧にしないと気が済まない性格だった。いい加減な仕事は絶対に許さない。しかし仕事から一歩離れると社員と一緒に釣りをしたり、海でサザエや魚をとって浜で食べたり、社員たちと子供のように遊ぶ一面もあった。千代子は仕事の傍ら、社員たちの食事を毎日のように作り、自分の子供のように面倒を見ていた。現在にも繋がる大家族主義は、ここが原点となっている。

光陽無線50年の実績一覧